Friday, December 25, 2015

クリスマスも終わり…

毎年毎年の事ながら、クリスマス(特にイブ)が終わると、街の装いはあっという間に新年模様に。
我が家の子供達にも無事プレゼントを渡せ、子供達は楽しい一日を過ごした様子。

僕も新年の事を考えると…
来年の干支は申。

娘の冬休みの宿題の読書感想文用に、各国の干支にまつわる童話を集めてみた。
日本では「鼠が猫をだまして、それ以来、猫は鼠を追いかける」という内容やけど、
世界の各地には「駱駝が落選した」とか「イタチが落選した」とか、色々な話があって面白い。
でも、干支という物がイマイチ娘には理解出来とらん様子。
干支を覚え易く、まだ数の数えられん下の子達にも教えていくにはどうするか。

子供に干支を覚えさせるには、ボードゲームやカードゲームを作ってみようかと考えている。
「12」という数が絡む様なゲームでも、絵があれば、下の子でも「おさるさん」等と解る。
下の子でも解る様なシンプルで、でも上の子でも飽きずに遊べるルールで…
構想が固まってきた。
問題は僕が絵が物凄く下手な事。絵の上手な妻が手伝ってくれると良いけど。

Thursday, September 14, 2006

学問に王道なし

 映画"Pretty Woman"を久しぶりに観た。
前回見たのはおそらく中学生の時、英語の授業で字幕つきを見せられた記憶がある。

 今回見直す気になったのは、英語の学習ということもさりながら、一番の理由は今世間を賑している「敵対的買収」について詳しく知りたかったからだ。
僕は経済に疎い。
その僕の中学生時代に「敵対的買収」などとわかったはずもないので。
"Pretty Woman"については「金持ちのやり手社長と(元)売春婦のラブストーリー」という認識であり、社長がどんな業界の社長かということはイマイチわからなかった。
そこでファンドや敵対的買収という言葉が理解できてきた今日、もう一度"Pretty Woman"を観てみようと思ったのだ。
そういう知識を仕入れて改めて観てみると、ストーリーも違ったものに観えるかもしれん。

 だが結局は前の認識を覆すほどではなかった。やっぱり「金持ちのやり手社長と(元)売春婦のラブストーリー」やな。
まぁ"Pretty Woman"と題名からして女性中心の話なのは、冷静に考え直せばわかったはずだが。
「敵対的買収」に関する英語キーワードも、特に得るものはなかったし。
これもまた、冷静に考えれば「娯楽映画で専門用語連発してもウケない、ので平易な表現にしている」ということくらいわかったはずだが。

 英語とか恋愛とか経済以前に、自分の浅はかさに気づかされた"Pretty Woman"観賞だった。

Thursday, September 07, 2006

久しぶりの投稿だ

 諸事情により、ここのところなかなか時間がとれないでいたが、やっと少し余裕ができた。そのため今回はちょっと設定をいじって文字サイズを大きくしてみるなど、投稿以外のことにもチャレンジ。
なるほど、こうやってフォーマットを決めるわけね。
まだ改行のタイミングというか、見てくれがよろしくないが。

 さて前回の投稿から約一月半、この間、世の中の状況はどんどん暗転しているようだ。しかし僕の身の回りの個人的な事柄では色々と良いニュースもあった。
高校時代の友人には、結婚その他人生を大きく左右するような慶事を迎える者が相次いでいる。
無線関係の事柄では、周囲の大きな協力のおかげでALL JA contestや各都道府県クラスの大会で優勝できた。また同門の方々の活躍が僕の目に見える形で表れてきているのも嬉しい。

 夏が終わりにさしかかってきた、周囲は確実に秋に備えて変化している。僕もここのところの事柄を自分なりに総括し、来るべき時期の準備をする必要があるようだ。

Saturday, July 15, 2006

形式と内実

 最近、友人ののりぞう氏が、食べ物に非常に飢えているらしい。 と同時に、ある意味での「見た目の格好」を意識する機会も増えているようだ。

今回のこの書き込みは、のりぞう氏へのメッセージ的な意味合いもあるので、 やや立ち入ったことにふれるところもあるが、勘弁してほしい。
のりぞう氏のブログでは、食べ物についての書き込みが豊富だ。 「あれが好きだ、これを食べた」という話が続いているのである。
ダイエットが昂じて倒れたり貧血になったり、また夏バテになったりという話をよく耳にするこの季節、健康的で大いに結構。
ただ、自分の好きなものや食べたいものを他と比べて、一喜一憂する必要はない。

周りの顔色を窺わずに、堂々と本当に好きなものを食べたらいいよ。
「寿司」と言われてウニよりハマチ、「中華」と言われてフカヒレより豚まんが思い浮かんでも、いいじゃないか。
ウニやサメの命がハマチやブタの命よりも格上だということなど、決してない。
大体、実際にハマチはそこそこの味の魚でイクラやウニがものすごくおいしい食べ物だと本気で思っている人が、どれだけいるのだろうか。
僕の記憶をたどってみると、母がスーパーで奮発して買ってきてくれたイクラは確かにおいしかった。
だが海育ちの僕から言わせれば、捕りたてのシャコやボラやアオヤギは、極上だった。
奮発してくれた母には悪いが、しかし母もわかっていると思う。僕の育った海は母も育った海だ。
その海では、イクラはとれない。

味は状況や環境で決まるものだと思う。
ウニよりうまいイワシだって、あるはずだ。
男が一人暮らしの家で侘しく啜るカップラーメンと、登山した山で川の水を沸かして作るカップラーメンは、神が中身を違うものに代えていると信じている。

ウニやフカヒレを至上と思う人たちの気持ちだって、理解できなくもない。
味よりステータスを、内実より形式を食べる人種だ。
だがそういう人たちを見ると、無性に悲しくなってしまう。
僕の悪癖かもしれないが、「本当に味のわからない人」「卑しい人」という差別をしてしまう。
社会的に高価とされるものを食べてニタァーっとだらしなく頬を緩める様を見ると、他人のオルガスムスを見せつけられているような不快感を憶える。
ま、のりぞう氏の周囲の方々はネタとして「安い、高い」と言っていることぐらいは想像に難くないが。
そしてのりぞう氏もエスプリとして、ブログに自分のザマを曝け出しているのだろう。
でものりぞう氏と僕との共通の知り合いには、本気で形式とステータスと評判を食べて満腹する人がいる。
僕とは違う人種ってことで、それはそれでいいけど。

マタイによる福音書6:25から6:34に「何を食べようか、飲もうか、着ようか、思い悩むな」という件がある。
原語で正確には「思い悩む必要はない」という言葉だが、「あれこれ迷わんで、食いたいもんを食え」ってとこか。
真理(聖書では『天の父』だが、宗教に関心のない方は食欲や味への欲と表現しても差し支えない)が必然的に望むことを準備してくれるはず。


 聖書といえば、これもまたのりぞう氏絡み。
最近は「マルコによる福音書」をお読みとか。
抑圧される人々の中から現れ、抑圧された環境のままの人生を送るイエスの言行録やね。

 のりぞう氏には「聖書をみんなはどう通読しているのだろうか」という疑問があるようだが、「通読すること」がそんなに大切なのだろうか。
あまり大っぴらにはできないが、僕は信者になってから聖書を通読していない。
結果的に全てを読んだかもしれないが、連続して最初から最後まで読んでいない。
信者になる前は三度通読した。歴史学を志す上で一度は聖書を読んでおくことが必要だと思ったからだ。

 ところで「通読する」って何だろうか。
日本語の語感からくる印象かもしれないが、「頭から最後まで通して読む」ことに重点が置かれているように思えてならない。
ある宗教の信者はその宗教の啓典を生活の規範とすることが、「信仰する」ということだと僕は考える。
「神がいる、仏がいる、霊がいる」ということを単に認めることが「信仰」ではないと思う。
極論すれば、洗礼をうけたから信者であると、単純に言えないと考えている。
果たして「通読している」人のどれだけが、目にした啓典の言葉の意味ををしっかりと追求して、生活に取り入れようとしているだろうか。
啓典の字面を「目で追っているだけ」の人、自分に都合の良い解釈をして満足し、真の意味を追求しようとしない人、そういう人が大半だというのが、僕が経験してきたことだ。
要するに、「通読する」という形式を追い求め、内実を追い求めていない人が多いということ。
そして「通読した」というステータスを得て、何か達成感を得て自分のランクが上がったような気になるのね。
それが「熱心な信仰」ということの本当の意味なのだろうか。



 食べ物の話に戻ろう。

僕の出身地と、言語や文化の違ういくつかの地域で暮らしてきた。
かなり多くの地域を巡り沢山の経験をしたつもりだが、「国」の数だけでいってもまだ地球の一割にも満たない。
現地語ができる地域であっても、できない地域であっても、現地では大変苦労するものだ。
苦労するという意味では、東京もバンコクも大した差はない。

言語も文化も違うところでも、共通したものということは存在する。
それは、「楽しいこと、嬉しいこと、喜び」だ。
飲んだり、食べたり、歌ったり、踊ったり、遊んだり、そういうことだ。
また、「怒り、悲しみ」というのも共通したものだろう。
罵ったり、殴ったり、殺したり、そういうことだ。
言語や文化というのはあくまでコミュニケーションの手段であって、言葉を使おうと体を使おうと最終的には「心」が通うかどうかにかかっている。

マルコによる福音書6:30や8:1には、イエスがわずかな食べ物で何千人もの人を満腹させる話が書いてある。
「パン五個と小魚二匹から五千人が満腹できる食糧を生み出した、神の奇跡や!」そういう話なのだろうか。

パン五個と小魚二匹は数人分の量の食糧か。
そのまま飢えた五千人に渡すと、争奪戦になるかも知れん。
そして勝ったやつのみが食事をし、負けたやつは指をくわえておかねばならん。しかも殴られたりした痛みも加わった上で。

僕の体験では、食は世界共通の喜びだ。
争奪戦を起こさせるのではなく、みんなでわけること、その心遣いが本当に人の心を満足させると思う。
五千人の心をあったかくすること、これが本当の奇跡なんじゃないの。

では「信者」はそれを見習いましょうよ。
多くの人の心を満足させることを生活の規範にしましょうよ。
同時に、現実に足りないもの、分ける食糧の少なさにも気づきましょうよ。そして必要なものを備える努力をしましょうよ。
「イエスが五千人を物理的に満腹させたスーパースターだ!」っていうだけの下らん話に貶めて、しかもそれを信じてどうするの。

 のりぞう氏には、ただ頭から終わりまで読み通すよりも、一部でもいい、真剣に向き合ってほしい。


 食は喜びだ。
イクラも喜びやけど、ハマチも喜びや。
ハマチも買う金がないなら、コンビニで豚まんの喜びを買ってもいい。
情報誌のグルメ記事を読んで、何やかの有名店にいったという「形式」を食べる喜びもあってもいい。
(この表現には僕の悪意が含まれているが)
しかし、安くてもめちゃくちゃにおいしい食べ物だって、ある。
それを食べるのも、喜びだ。

 Tokyo Walkerなどに出ている記事をどう読んで、どう活用して、どう生きるか。
それによって、幸不幸というのがある程度決まるように思う。
そういう意味では、聖書も一つの「情報誌」だ。

ま、どう読むかで周囲を巻き込んででほしくはないものだが。

Saturday, July 08, 2006

誰もがみんな知っている

 NHKの「おかあさんといっしょ」を見た。
中西圭三氏作の「ぼよよん行進曲」という歌がどんなものか知る必要ができたからだ。
前座のようなコーナーに、犬の着ぐるみが活躍すると思われる「スーパ-ワン」なるヒーローがいるらしい。
そのテーマソングらしき歌も聴いた。
「スーパーワン」の歌は聴けば聴くほど、「月光仮面は誰でしょう」に似ている。意識してのパロディーだろう。

 さて「月光仮面」、考えてみると偉大なヒーローだ。
月光仮面を一所懸命に見ていた世代は、多分僕の両親あたりの世代だ。つまり僕とは無縁で、実際僕は月光仮面の番組を見たことがない。
しかし「月光仮面は誰でしょう」は一番くらいなら僕でも歌える。
それもそのはず、現在でも時々街角でビラを撒いたり東京タワーに登ったりと現役としてご活躍のようだ。
いでたちは白ターバンに白マスク、白い全身タイツにサングラス。かなり怪しい姿だ。
これでは「月光仮面のおじさんは正義の味方よ良い人よ」とことさらに強調するのもいたく納得できる話だ。
黙っていると警察沙汰になってしまう。
仮面ライダーやウルトラマン、各種の戦隊物のヒーローたちといった尻の青い若造どもは、イケメンなお兄さんお姉さんたちが変身しているようだが、大人の月光仮面さまは「おじさん」なのである。
「憎まず、殺さず、赦しましょう」
慈悲に満ちた大人の貫禄である。

Sunday, June 11, 2006

梅雨のソナタ

 梅雨がやってきた。
梅雨になると洗濯物が干せないので、生活面で結構困る。
来週はAll Asian testもあって移動をかけたいのに…

 さて、遅ればせながら「冬のソナタ」を観た。
以前「ヨン様がそんなにカッコいいと思わない」と書いたが、訂正。
カッコいいわ。
ただし、カッコよく見えるように演出されているから当然のことなのだが…
ヨン様という素材のおかげということもさりながら、演出担当者の力量がすばらしいのでは。
なお僕はやっぱり、キリッとしたヨン様がカッコいいと思う。
「冬ソナ」中でいえば、主人公の高校時代の姿だ。

友人ののりぞう氏は「断然吹替派」らしいが、吹替は声優さんの声が全体的に高く、いまいち深みが出ないように感じた。
それにあんまり感情がこもっていないようにも聞こえる。
僕は字幕派だな、吹替版は(劇中での)高校時代の場面までで観るのをやめてしまった。
ドラマティックな展開を演出するためか、盛り上がる場面の台詞が絶叫系なので残念ながら僕の韓国語力では、字幕なしでの完全理解は難しい。
これは今後の課題といえる。
もともと楽しみながら韓国語力をUPさせるために「冬ソナ」を観たので、課題が明らかになったことは大きな収穫だ。

Tuesday, May 30, 2006

あなたの電信があなたを救った

 正月にあった埼玉コンテストの結果が発表された。
なんとめでたく優勝!うちのヘボアンテナとQRPでライバルたちに競り勝ってのものだ。
今までコンテストでの入賞は何度かあるものの、すべてロケーションのいい場所へ移動してのもの。
ローカルコンテストとはいえ、自宅から参加してコンテストに勝ったのは初めて。その意義が大きい。
しかしやはり楽勝だったわけではない。実際2位の局とは交信数は同じ、マルチでは4も負けている。ただ埼玉コンテストは「電信の交信は2点」というルールがあり、そのおかげで合計点ではわずかに上回った。
もともとは埼玉県の未交信市郡と交信できたらいいな、ということで参加したコンテストだったが。

 最近はコンディションがいいので21MHzや50MHzに出ることが多い。
うちの設備では21MHzで海外と交信するには電話では厳しいようだ。電信でも辛いがなんとか交信してもらっている。
JARL A1 clubの方々の中には、電信でしか交信しないという頑なな方が多数いらっしゃるようだが、僕は全交信の約半数が電信の交信だ。
電信だけでしか交信しないというのは偏狭に思えるのだが、まぁ趣味の世界やしね。それともライセンスが「電信級」なのか?
ちなみに僕の高校時代の恩師、T先生は電信の免許しかお持ちでなかった。
「マイクを持ってない」のが電話の免許を取らない理由だそうだ。

 ともかく、電信に助けられていることを実感するこの頃である。

乙女の祈り

 「乙女の祈り」というピアノ曲がある。
僕が小さい頃は、「ザ・カリー」だったか何だったか、カレールウの宣伝で中村紘子氏が演奏していた曲だ。
また東京都や埼玉県では、ゴミ収集車がこの曲を鳴らしている。
この前行った台北でもゴミ収集車はこの音楽とともに現れる。
おそらく東京で使っている車をそのまま台北が輸入して使っているのだろう、あるいは逆に東京が輸入しているのか。車体のカラーリングも一緒やし。
台北で一緒だった現地の人に「この曲の曲名を知ってる?」と聞くと「曲名があるの?清掃局のテーマソングじゃないの?」との返答。彼女は音楽に詳しい方なのだが。
熱狂的なキリスト教徒である彼女に、曲名を教えてあげると愕然としていた。
埼玉のある高校生からも「ゴミの歌」と呼ばれていたことも知っている、つまり「乙女の祈り」はいまや国際的に「ゴミの歌」と認識されている。

ちなみに「祈り」を「ゴミ」扱いされている乙女は、テクラ・バダジェフスカという方らしい。よく知らない方だが、18歳でこの曲を作曲したそうな。
どちらかというと歌を作る側にいる僕からすると、ゴミ扱いされていることが寂しいか、ゴミ扱いでも広く長く国際的に自分の作品が知られているのが嬉しいか、微妙なところだ。

Friday, May 19, 2006

僕たち男の子

 郷ひろみ氏の歌にこんなのがあったらしい…
この歌の歌詞は、無駄なというか無意味なというか、必ずしも必要ではない言葉が大部分を占めているように思う。

 さて昨日に続き今日も6mがオープン、さすがに昨日ほどではなかったが。まぁ比較の問題で、通常からすれば十分良好なオープンであったと言えよう。
今日はまず4エリアの市郡から。
岡山や倉敷と交信していると、横から強力な信号が浮かび上がってくる。このイントネーションは韓国や!
ゼロインする。Iotaサービスでノク島というところかららしい。相手からは韓国本土は開けず、交信相手は専ら日本ばかり。
大きなパイルは起きているものの、こちらの貧弱な設備をカバーするために奥の手の運用技術、韓国語を駆使すればなんとかなりそうだ。

 二~三度のトライでピックアップされた、他の日本局と違って詳しい運用情報をくれる。
忠清南道(チュンチョンナムド)の諸島の一つらしい、AS-080。だが話がどうも妙だ。
『アガシ』と聞こえたような…「アガシ」って「お嬢さん」って意味やなかったかいな?
と、やはり交信終了時に88を送られてしまった。88はキスを贈るって意味で、女性に対する挨拶だ。
電話での交信やったのに、何で女性と思われたとかいな?分からん。
ALL JA Test時に電信で「チョーウザイ」とか打っていたのが今ごろ利いてきたのか?もちろん女子高生と思わせて男に沢山呼ばれるための打電だ。和文電信を打てる女子高生がいるのか、そして彼女たちが「チョーウザイ」などと打っているかどうかは定かではないが。

 いずれにせよ、女性に間違われるようなことは15年ぶりだ。当時はまだ幼かったので、女の子のような顔立ちをしていた…

Thursday, May 18, 2006

6m Open

 今日は50MHz帯のコンディションがとても良かった。
スポラディックE層(Eスポ)によるオープンのようだ。
我が家の貧弱な設備でも19局と交信、当地1エリアが2局、4エリアが2局、故郷6エリアが15局という内訳。
今まで6mでは未交信だった16市郡と交信できたのは大きな成果で、中でも我が福岡市と初交信できたのが非常に嬉しい。
全バンド通じての初交信市郡も10にのぼった。
それでも、パイルアップに負けてとり損ねた市郡が4つ、韓国も3局逃した。悔しいが次の機会を待とう。
なおHeardだけで言えば今日の6mでは1dayAJD+韓国、こういうことがあるもんだなぁ。

 嬉しいことは嬉しかったが、一日でのこの国内DXの交信数は過去にメジャーコンテストでも経験していない、なんとなく切ない…
何よりも今日のパイルアップとショートQSOはある意味でコンテスト以上に熾烈だった、いいシミュレーションにはなったが。

 休日である明後日への期待が膨らむ今日のコンディションだったが、まだここのところ続いている雨は上がらないそうだ。
グラウンドウェーブでも交信しやすいように水平偏波用のアンテナを用意したいところなのだが…

Tuesday, May 16, 2006

蜜柑の花

 我が家から最寄駅の間にある家の塀の際に、蜜柑の木がある。
一般にフルーツとして売られている蜜柑ではなくて、おそらく厳密には地蜜柑とか小蜜柑とかいわれた「柑子」のようなものだと思う。
まぁしかしそんなことは今はどうでもいい。その蜜柑の木に花が咲くと、道にかすかな良い匂いが漂う。この時期は毎年こうだ、今年初めてこの蜜柑の花の匂いに気づいたのは昨日のこと。

 この花の良い匂いをかぐと必ず思い出す人がいる。
数年前のことだが、アルバイト先の同僚がその蜜柑の木のある家の隣あたりに住んでいた。
あるときその方に「あの角の蜜柑の木に花が咲きましたね、良い匂いがしていますね」と言うと彼女からは「私はあの匂いが苦手なんです」という返事。
驚いた、蜜柑の花の匂いが苦手な人がいるなんて!
あんなに非のうちどころがないような匂いの、どこがどういう風に苦手なのだろう?聞きたかったが丁度その時忙しくなり、なんとなく聞けずじまいだった。
親しく会話するほどの関係ではなかったので彼女とは他にどんな話をしていたのかあまり覚えていないが、この話は強烈に覚えている。人の好みって本当に千差万別なんだなぁ。

 昨日もそんなことを思い出しながら蜜柑の木の匂いにふれた、あの人はまだあそこに住んでいるのだろうか。
ふと、「さつきまつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」という歌が頭に浮かんだ。
さすがは業平中将、考えれば考えるほど深い歌やな。(古今和歌集では『詠み人知らず』やけど伊勢物語に出てくる以上業平の歌やろう)
件の彼女は僕の「昔の人」ではなかったし、苦手なくらいだから袖から橘の香もさせてなかった。だけど思い出すもんは思い出すよ、人の印象ってそんなもんやろう。

 僕にも、ある「香」をかげば、「昔の人の香がする」ことはある。
業平中将のように趣深いことを典雅には言えずに、ドロドロの醜い心がそのまま表れる言葉にしかできんけど…

Sunday, May 14, 2006

About QSL cards (True Ver.)

 今日もQSLカードを印刷。葉書サイズの「こだわりデザイン」ヴァージョンも切れかかっているためだ。
今日こそは脱線せずにQSLの話を書こうと思うので、"True Ver."と銘打った。

 午後に近所のパソコンショップにいって葉書の原紙を購入。
夕方に軽く眠って、現在別のPCに印刷させながらノートPCでこのブログを書いている。

 前回までのカードとの違いは、データ面には"Printed by Adobe PageMaker"の文字を入れ、イラスト面には"Printed by Adobe Illustrator"を入れたことだけだ。
以前仕事で楽譜を書いていたことがあり、その時に使っていたAdobeの製品には慣れている。その頃書かされた楽譜には、上司の趣味でfontへの並々ならぬこだわりと線の太さや歌詞の配置に0.01mm単位(もっと精密かも)の精度が求められていたこともあり、QSLを印刷する程度のことは苦でもない。
職場ではMacを使うように定められていたが当時自宅にはWindows環境しかなかったのでWindows versionを自腹で購入して自宅や出張先で原稿を書いたこともあった、これらのソフトが今役に立っている。
もっともAdobeの製品は異常に高価であり日本で買うと計百万円近くかかったのでは?僕にはもちろん買うだけの経済的余裕がないので物価の安い某国で英語版を買ってきた、合計で五万円を少し超えた程度で購入したはずだ。日本語fontを使うときに一操作増えることとコマンドやヘルプが英語なのとで若干手間がかかるが、費用のことを考えると十分満足できる。
本当はQSLの印刷程度のことはMS-Wordでも十分できるのだが、使い慣れたソフトで書いた方が楽だし仕上がりもいい。何よりMS-Wordは使いにくい。

 この"Printed by ..."の文字を入れたのは、今朝少しふれた「ハムログ」へのささやかな抵抗だ。CQ誌などにはハムログで印刷されたQSLの品評会のようなコーナーがあるが、進歩的であることが求められるアマチュアとしてはハムログのみにとどまらずに色々な印刷の仕方を身に付けたい。
ハムログで印刷したくない理由はもう一つ、それは交信データ(少なくとも交信相手局のコールサイン)は手書きしたいということにある。自己満足といえばそれまでかも知れないが、それが交信相手に対する僕なりの謝意の表現だ。
なお「ささやかな抵抗」という言葉はJM6XXU氏の口癖であり、彼がまず「ハムログへのささやかな抵抗として別のアプリでQSLを印刷した」と発言したことから引用したものである。
彼は僕と違ってアプリでの印刷機能そのものを自分で開発したようだが。
詳しいことは彼のHPに書いてあるが、リンクの許可をとっていないのでここには掲載しない。後日URLを公表することがあるということに留める。

 QSLのイラストデザインは、僕の生まれ育った福岡市早良区と城南区についてのもの、早良区と城南区では若干マイナーなので福岡市の諸々を取り扱ったもの(幼い頃によく行った母の実家がある東区の島を扱ったものを含む)、もう9年も住んでいる現在の居住地の小平市についてのもの、などそれぞれ複数種類用意がある。
福岡人らしく、ユーモアたっぷりでセンスのいいデザインだと自負している。
興味がある方は、ぜひ僕と交信してほしい。

About QSL cards とするつもりで脱線して長くなった

 もう昨日のことになるが、QSLカードを印刷した。
DX(海外)局用のものが切れたためだ、といっても往々にして国内局にも同じものを発行することもあるが。ただ最近は自宅からの国内QSOには、葉書サイズの紙にこだわりのデザインをしたものを五~六種類用いている。
 そして移動運用時とDX局用には、葉書よりやや小さめの国際的な慣例とされている規格の既製品をカスタマイズして印刷している。
QSLとして必要なデータだけをシンプルに見やすく記載することがDX局に求められていると考えているからだ、基本的に日本語読めんしね。でも日本らしさを期待される場合もあるので、名前だけは漢字も併記し篆書を刻んだ印鑑を捺している。
移動運用時には、運用地をきちんと『自宅の住所を、修正したものではなく印刷して』明記したものを使いたいので、移動する度に原稿を書いている。たとえたった一局だけしか交信しない遊び運用でも。毎度毎度新原稿を作る必要があることと移動運用の方が交信局数が多くなることとの二つの理由から、やはりシンプルでコストのかからない既製品を流用。
 色々と書いたがこのシステムでQSLを発行し始めてまだ半年、未だに模索しながら良いQSLカード作りを目指している。


 前置きですら非常に長くなったが、本題はここから。僕の主張は「コンテストでの交信でも、きちんとQSLを発行してほしい」ということだ。

 自宅は狭いワンルーム、おまけに平地に立つ五階建ての二階。そのベランダに何とかVU帯用のモービルホイップと21MHz用の短縮DP(全長約2m!という高短縮率)をあげさせてもらっている、それも大家さん・管理人さん・近隣住民に大目に見てもらってのこと。
アンテナの効率が悪い上にワンルームで隣家との距離が極端に狭いとあっては電波障害の危険性は高く、いきおい送信出力は下げざるを得ない。いつも1w送信のQRPだ。
アンテナは良くない、パワーも弱い、ではほとんど交信が成立しないのは当然。コンディションと交信相手の運用設備及び技術のおかげでぼちぼちとQSOできている。でも相手に「あなたのおかげです、ありがとう」も「手間取らせてすみません」も伝えられない、こちらの電波の了解度があまりに低すぎるからだ。

 しかしこの環境ですら、JM6XXU、JK8XAN、JE1LXGの諸先輩方からすると「自宅で運用できるだけ羨ましい」らしい。実際にそれなりに楽しませてもらっていると思う。どんなに粗末な環境でも、交信成立の可能性が0%ではないし。
だがやはりストレスなく楽しみたいなら、山や丘への移動運用が欠かせない。我々20代の無線家は稼ぎが少なく、住宅環境を整えるよりも山や丘に移動して運用する方がはるかに現実的だ。一人ではなかなかモチベーションが上がらないし、折角の機会なのでもちろん先輩方を誘う。車の免許を持っていないXXU氏と僕には、重い運用設備を担いで電車に乗り登山するというちょっとした旅だ。健康には良さそうやけどね。

 日程的にも体力的にも、そして前述の通りモチベーションの面からも毎日毎日移動運用するわけにもいかないので、動機付けとしてコンテストの日に移動することが多い。「どうせ山に行くならできるだけ沢山交信したい」という気持ちもある。
またコンテストでもない限り声をかけてくれない局が多いように感じるのも一因だ。
作者のJG1MOU氏には大変申し訳ないが、僕は「ハムログ」の弊害だと思っている。
「あいつとは過去にもう交信してるから」「あの市郡とはもう交信できているから」、もう交信しなくてもいい、というオペレーターが多くなってきていると聞く。
相手があってのアマチュア無線のはずなのに、その交信相手に対して「獲得する賞品」のような「物」としてのとらえ方しかできないオペレーターが増えているらしいことは、本当に残念でならない。
JG1MOU氏にはすごく便利なものを開発なさったという感謝と尊敬の念を抱いているが、マナーの悪い利用者の問題をアプリケーションそのものの存在に起因する問題のように感じてしまい、思いは複雑だ。
話が脱線したが、比較的声をかけられやすいということもコンテスト時に移動運用する理由の一つ。

 またコンテストというイベントを大きな目標としている学校関係の社団局もある。
我々もそこで育った。あの経験がなかったら交信できる喜びや仲間と競う喜びを知らずに、今のような忍耐の先にある喜びがイメージできずにへこたれてしまっただろう。
どのくらいの距離を電波は飛ぶのか、どのくらい明瞭に交信できるのか、実体験としての経験は強烈だ。雑誌やネットの記事は、所詮他人事。
しかし最近の学校の社団局は、ただコンテストで「送受信している」だけで「通信になっていない」局も多いが。
先日のALL JAコンテストでは、僕は某学校局から七回コールされた。"WKD B4"と打っても"Dup"と打っても分からずにしつこくコールしてくる。電力だけは無闇に強いし、あれはただの妨害やな、まったくのヘボや。自局のコールサインも五回に一回くらいしかまともに打てんし各局かなり交信に苦労していた模様。あれは虚偽の通報では?
自己訓練が足りん!

 ともかく以上のような話を総合すると「コンテスト時が交信機会の大半を占める無線局は少なくない」ということだ。となれば、やはりQSLを発行してほしい。
色々と書いたけれど、僕だってやっぱりQSLはほしい。ただQSLカードやアワードやコンテストでの勝利が全てとは思っていないということだ。
通信とはコミュニケーションだから。
かつては僕もコンテスト時のQSLは発行していなかった、学生にはカードを印刷する費用もバカにならなかったし面倒だったし。
でも手間と金をかけてでも、やらなければならないことってあると思う。
ログの見つかった限りは、何年か遅れても発行した。
もしもこのブログをご覧になった方で「こっちにはカードが届いてないぞ!」という方がありましたら、メールででもコメントででもQSLででも、ご請求下さい。

 JARLは「青少年にアマチュア無線を広めたい」ということで、何かのイベントを企画したり簡単に免許が取得できるように働きかけたり無闇にアワードを発行したりしているが(アワード乱発には経済的収入という面もあるようだが)、「敷居が低くて手軽」ということと「安易である」ということは非常に近いということに目が向いていないように感じる。
ある程度の苦労がないと、達成感も得られない。
QSLもその達成感を与えてくれる大きな材料の一つだろう。
本当に充実した意味での達成感を体験できるならば、放っておいても青少年はのめり込んでくるはず。
現在「アマチュアコード」の五つの項目を実践できている局がどれだけいるだろうか。もちろん自己反省の意味も込めて。
QSLやQSOや諸々の技術のことについて、あのアマチュアコードが本当に生きて実践されているならば青少年離れは深刻にはならないのでは?
まぁ往々にしてお題目というのは、実践されてないから「実践しましょう」と掲げるものではあるが。

本当に長く長くなったなぁ。
夜明けを迎えてしまったし、仕事の前にコンテスト周波数でも軽くワッチしてみよう。

Friday, May 12, 2006

何てこったい

 今週初めに作ろうと計画したSWR計は、今晩やっと作成。
しかし較正しようとしてもさっぱりまともに動作せん。
なぜかと色々チェックし、怪しそうな部品も取り替え、半田付け不良も確認し、試行錯誤すること一時間、原因は…10本の抵抗の値が全てkΩ!ずれている。つまり部品購入時、酔っていたためか1kミスったらしい。 何てこったい…
まったく、自分の経験と実力のなさがはっきり出てしまった。今後はお店の数字だけやなくて、きっちりカラーコードも見て買うことにしよう。もっとも、店の表記がミスしていたわけではないと思うので僕がきっちりしていれば数字だけ見ても問題ないはずだが…

 気を取り直してマイクとダミーロードを修理、接触不良を付け直しただけのこと。両方とも自作品だけに脆いところがあるようだ。

 再び気分が良くなってきたのでアンテナチューナーを製作。
今までいくつか作ってきたモノバンドカプラーと違って、今回はHF+6mに対応した上等なものだ。といっても所詮僕の自作品である以上オモチャ程度のものなのだが…まぁ使えることは使えるという代物。
組み立てて動作チェックも終了し、期待通りのいい出来だ。マニュアル操作で若干面倒だが、これで多数のバンドを一つのチューナーで運用できるし、ロングワイヤーアンテナで妥協すればアンテナがなかったために出られなかったバンドにも出られる!明日はロシアが主催する全世界対象のコンテストがあるし、狭いワンルームを出てロングワイヤーの張れる山にでも遊びに行こう。

 さて電子工作も終わったし、今日の夕刊を読んだら寝るとするか。明日は山行きやしね、早寝しよう。
なになに、明日と明後日は…雨!
再び、何てこったい…

 

Wednesday, May 10, 2006

今日の雑事

 今日は仕事の合間にQSLカードをJARLへ出してきた、ついでにALL JAのコンテストアワードも申請。
カードはJM6XXU氏のと僕のと、まとめて11cm程度の厚みにもなっていたろうか。家にあったらあったで置き場所に困っていたが、なくなってみるとなんとなく寂しい。「鎮座」という言葉がふさわしいような存在感があったんだなぁ。


 その後は新大久保へ。某店の入り口にペ・ヨンジュン氏のポスターが貼ってあった。微笑んでいる彼とともにかかれている文字は"Merry Christmas & Happy new year." ヨン様で集客したいのだろうが、いつまで貼っているつもりなのか…。
ちなみに僕はヨン様があまりカッコいいとは思わない、世の女性方を敵に回しそうな発言だが…。ヨン様も嫌いじゃないけどね。微笑が作るムードが甘いのは理解できるが、笑ってない顔の方がキリッとしていいと思う僕はおかしいのだろうか。
なお僕が一番気に入っている韓流スターはリュ・シウォン氏やな、頑張りが伝わってくるやないか。
仕事を片付けたら「韓国広場」で一東のマッコルリを購入、店員さんの仕草を見ていたら友人の金恵珍氏を思い出した、彼女にメールを書かないと…。

 明日はYHWHの証人の方々と対談、面倒くさいなぁ。彼らと話をしても結局行き着く先は「他は全部クズで自分たちが正しい」ということにしかならずに会話が成立しないのでね…。「対話しましょう、一緒に勉強しましょう」というけど、元々の目標はそういうことを言いたいだけやもん。、結果が見えていて人生の貴重な時間を浪費するのはもったいないがこれも仕事やしなぁ。
まぁしかしうちの団体だっておんなじようなもんなので、よそ様ばっかりを悪くは言われんけど。

Monday, May 08, 2006

あらら

 さっそくミスか。
時間がきちんとなってない、早速修正。
スタートからこの調子やもんな…

開局

 先輩のJM6XXU氏のブログにつられて、パクりのようにこのブログを作ってしまった。
元来こういうものが苦手というか、後先を考えずに失言・失態をしてしまうのが僕の悪い癖なので、ブログなぞ書き出すと恥を世界中に晒しそうで避けてきたのだが…

 Boardという言葉はなかなか好きだ。なんとなくHPという言葉よりもBoardという単語のほうが品格があるように思う、まったくの感情的な偏見だが。
Board, 及びon Boardという言葉にはいろいろな意味があり、それを一口に掛詞として使えるのがいい。
板という意味はもちろん、部所、会議、食卓、食事、搭乗、下宿、などなど僕の生活に深く関る諸々の意味を含むらしい。
そこで"Board On Board"、しばらくここで生活してみよう。

 世間では昨日でGW休日が終了し今朝から仕事だそうだが、僕は今日は休み。今日までは頭の中の大半を趣味のことで一杯にしたままで良い。
今日は電子工作にいそしむとしようか。携帯に便利な簡易SWR計作成が当面の課題となっている。先日やはり先輩のJK8XAN氏用に作成したものを改良するのみにすれば、設計や計算など面倒なことが必要なく、今日のような日にのんびりだらだら作るのには手頃やな。
較正とリカバリーの時になったら気合入れるさ、いつもリカバリーが必要なところが技術のなさを示すのだが…
それにしてもGW中は多くの人に交信してもらった。QSLもコンテスト書類も全て書き終えているので後は提出するだけだが、例えばもしも今日一日でまとめて書くとなっていたら…夏休み最後の日を迎えて宿題に追われる学生みたいになるのだろうな。
 片付ける事項で残ったのはGW中に溜まった郵便物の発送、今年は世の休日が続きすぎて郵便局が閉まりっぱなし。僕の休日が月曜で良かったよ。